都萬神社 国の重要文化財と有形文化財(建造物)

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銅鏡「籬二菊双雀文様」(まがきにきくそうじゃくもんようきょう)

IMG_4459.JPG「籬二菊双雀文様」当社の銅鏡は,鎌倉時代の作とされ,径 21.1cm。鏡背は中央に菊座鈕 があり,単圏である。鈕下から出る菊が鏡上部三分の二を覆い,鈕の右側空間には2羽の 雀が向い合って飛んでおり,下部中央には3間の垣根(籬)を置き,下端外区には連波を 配している。誰が奉納したかは不明。この他、海獣葡萄鏡をはじめとする51面の銅鏡が奉納されていた。

【種 別】国指定有形文化財(工芸品)
【指定年月日】大正7年4月8日


「神楽面(神舞面)」

神楽面.JPG神楽面「神舞い面」
承和四(八三七)年以前に創始された日向の国児湯郡の妻神すなわち都萬神社が、有明町原田に勧請(かんじょう)されたのはいつ頃であろうか。原田のモトミヤから現在の仮宿へ遷宮したのが天文九(一五四○)年だから、それより前である。
 この由緒正しい宮にかつて伝承された神舞い(神楽)の仮面がいまも保管されていて、うち五面は大崎町教育委員会の郷土資料室に展示してある。それは、鬼神面(赤)、鬼神面(白)、田の神面、尉(じょう)面、猿面である。
 田の神面は東串良町の大塚神社にある面と相似であるので同一製作者によるものであろう。大村熊吉氏は「郷土の歴史」の中で、都萬神社の神舞いは、高山(こうやま)の神舞いを受け継いだものだと記しているが、出村卓三氏は『南九州の仮面』(平成四年、鹿児島県歴史資料センター黎明館)に、「都萬神社は、天台系の飯熊山修験とのかかわりの強い神社で、神舞いも悪魔祓いの役を担っていたらしく、鬼神面が特に多い」と記し、修験者のかぶる兜巾(ときん)をつけた面もあると指摘している。都萬神社の神舞い面は一九四○年以来、本格的に神舞いが行われなくて、いまやすたれてしまった現状では、郷土資料質の五面を加えて合計二十面の仮面は貴重な文化財と言わねばなるまい。
(「南九州の伝統文化, 第 1 巻」著者: 下野敏見より抜粋)

左上から右へ。
鬼神面(白)、鬼神面(赤)、猿面、尉面、田の神面。昭和51年大崎町指定文化財。


「都萬神社拝殿(木花開耶姫命)」(つまじんじゃはいでん)

IMG_4432.JPG都萬神社の社殿の彫刻や飾り木は目を見張らせるものがある。まず拝殿正面の蛙股(かえるまた)と、柱の上の肘木(ひじき)と雲斗(くもと)の凝りよう。それに比して、左右の木鼻(きはな)は、象の顔をあしらっているとはいえ単純である。渡り廊下の左右の彫刻もちょっとびっくりさせられる。というのは蕨芽のような、また帯のような、細長い彫り物を五個並べて、波状の模様を作り出しているのだ。これは思い切った装置である。その上、頭貫(かしらぬき)の上にまたがる蛙股と波状が一致するように出来ている。
 本殿のまわりには彫刻がぎっしりと施されている。大村熊吉著「郷土の歴史」(平成四年、大崎町教育委員会)には、「拝殿の次の斉殿から本殿正面の彫刻、蛙股とかいう彫りを中心に、左側に申(さる)、右側に酉(とり)の像の浮き彫り。本堂を囲む外側の上部には、戌、亥、子、丑、寅、卯など、十二支の像が左回りに浮き彫りされている」と記されている。永い間に少し風化した面もあるようだけれども、白木の本殿を拝観していると、その念の入った彫刻ぶりには感心せざるを得ない。そして、小屋掛けして製作に打ち込んだ伊集院久長の姿が浮かんでくる。
明治四十四年九月、大型台風が大隅半島を襲い、都萬神社の建物は全部崩壊したという。そして大正二年再建に着手し、大正五年完工。とすると、この彫刻等は新しいものであるといえる。しかし、再建の時には倒壊した建物はそこにあったはずであり、材木は新しいものを使っても、それだけ由緒のある社であるからには建物様式から彫刻等はきっと以前の物を踏襲したことも考えられる。
(「南九州の伝統文化, 第 1 巻」著者: 下野敏見より抜粋)

「都萬神社拝殿」
本殿の前方に南面して建つ。桁行四間梁間三間、入母屋造妻入、向拝一間、桟瓦葺。本殿との間に、桁行三間梁間一間の回廊を付ける。方柱で、木鼻付平三斗組とし、中備に蟇股を飾る。一軒疎垂木。回廊も同じ仕様。装飾的な本殿と対照的に簡明な意匠とする。


登録有形文化財46-0087
構造:木造平屋建、瓦葺、建築面積66㎡
年代:大正5年/平成9年改修
登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
備考(調査):建築年代等は末社稲荷神社の蟇股刻銘による。
施工者は大崎村の伊集院久長。


「都萬神社末社山王神社(大山祇命)」(つまじんじゃまっしゃさんのうじんじゃ)写真右

「都萬神社末社五林大明神社」(つまじんじゃまっしゃごりんだいみょうじんじゃ)写真左

IMG_4417.JPG都萬神社には本殿の左右に四つの支社がある。『三国名勝図会』には、神社の左側(本殿に向かって右側)には五林大明神祠と山王祠があり、右側に稲荷神社と伊勢宮があると記されているのに対し、『神社誌』には、伊勢宮を欠き、右記三社のみ記されている。この『神社誌』は明和五(一七六八)年から六年にかけて編纂されたが、昭和十年に再刊する時に、新しい資料も入れたようで、都萬神社の項には明治四十三年のことも出てくる。したがって、伊勢宮を欠いているとあるのは明治四十三年から昭和十年の間に書かれたことであろう。現在は支社は四社そろっているが、一つだけ造りが違う。他の三社は本殿と同じような凝った造りであるが、一つだけは単純な造りであり、これが伊勢宮なのであろうか。でも『三国名勝図会』に描かれている「妻万神社」の絵では、現在の支社の配置と比較してみると、稲荷神社になっている。
 念のために宮司の小野孝一氏にたずねてみると、やはり稲荷神社であるとのこと。宮司によると、宮大工の伊集院久長が稲荷神社を奉納すると書いてあるという。稲荷神は久長の住居のそばにもあったらしい。それを勧請したことも考えられるが、江戸時代には稲荷社はすでに都萬神社の支社と一つとして祭られていたのである。
(「南九州の伝統文化, 第 1 巻」著者: 下野敏見より抜粋)

「都萬神社末社稲荷神社」(写真右)
末社伊勢宮の西に南面して建つ。小規模な一間社。流造屋根で銅板葺。円柱を切目長押や内法長押で固め、頭貫を通す。木鼻には雲紋風に絵様を施す。二軒繁垂木。正面中備の蟇股は本殿などと同様の形になり、大正再建の経緯が陰刻される。

「都萬神社末社五林大明神社」(写真左)
本殿の東に南面して建つ。末社の中で最も小規模な社殿。一間社流見世棚造、銅板葺。方柱で三斗組とし、二軒繁垂木。向拝身舎間には海老虹梁を架けて、固める。向拝は方柱で、柱上に木鼻付平三斗を置く。水引虹梁は二段に折り上げ、中央に蟇股を飾る。



名称:都萬神社末社稲荷神社(右)
登録有形文化財46-0089
構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積1.1㎡
年代:大正5年/平成17年改修
登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
備考(調査):建築年代等は蟇股刻銘による。施工者は大崎村の伊集院久長。

名称:都萬神社末社五林大明神社(左)
登録有形文化財46-0090
構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積0.53㎡
年代:大正5年/平成17年頃改修
登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
備考(調査):建築年代等は末社稲荷神社の蟇股刻銘による。施工者は大崎村の伊集院久長。

「都萬神社末社伊勢宮(天照大神)」(つまじんじゃまっしゃいせみや)写真右

「都萬神社末社稲荷神社(豊受姫命)」(つまじんじゃまっしゃいなりじんじゃ)写真左

IMG_4561.JPG「都萬神社末社伊勢宮」(写真右)
本殿の西方に南面して建つ社殿。桁行一間梁間一間、入母屋造、向拝一間、銅板葺。円柱で三斗組とし、中備に蟇股を配す。軒は二軒繁垂木。正面に格子戸をたて、側・背面は横板壁とする。向拝の蟇股や組物はやや大振りで、蟇股に夫婦岩を彫る。

「都萬神社末社稲荷神社」(写真左)
末社五林大明神社の東に、南面して建つ小規模な社殿。桁行一間梁間一間、入母屋造、向拝一間、銅板葺。円柱で、三斗組とし、中備に蟇股を飾る。二軒繁垂木。向拝には皿斗付大斗を用い、平三斗とする。本殿と同時期の社殿群が、伝統的な境内景観をつくる。

名称:都萬神社末社伊勢宮(写真右)
登録有形文化財46-0088
構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積1.2㎡
年代:大正5年/平成17年頃改修
登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
備考(調査):建築年代等は末社稲荷神社の蟇股刻銘による。施工者は大崎村の伊集院久長。

名称:都萬神社末社山王神社(写真左)
登録有形文化財46-0091
構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積1.2㎡
年代:大正5年/平成17年頃改修
登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
備考(調査):
建築年代等は末社稲荷神社の蟇股刻銘による。施工者は大崎村の伊集院久長。


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